今まで何度か焙煎中のコントロール、制御に関する話をしてきました
“コントロール”、“制御”と聞いて浮かぶのは、ひょっとして管理、統制、支配と言った、ややもすると力尽くで抑えるような、アクティブ(積極的、能動的)な情景をイメージされるでしょうか?
焙煎はむしろ、その正反対、パッシブ(受動的)な心持ちで取り組むべきものだと思っています
そしてこのアクティブ、パッシブの心持ちの違いは出来上がる豆の味にも反映されると思っています。アクティブに挑むと角のある、とんがった風味に!パッシブに挑むと丸みのある、柔らかな風味に!
と言うのも前述のアクティブな心持ちは、「僕の焙煎でこの豆をこんな味に仕上げてやろう」、「こんな味を引き出してやろう」みたいな思いに至ります。例えば「浅煎りでフルーティにしてやろう」、「深煎りでダークにしてやろう」みたいな感覚です。これでは「自分勝手な焙煎」、「自分がやりたいようにやっただけ」と言われても仕方ありません。そんな焙煎で美味しい豆が創れるわけがありません...と、僕は思います
方やパッシブ(豆の声に耳をすまし、受動的)な焙煎は、
豆自身が発する「僕(豆)は、こうしてくれると最高に美味しくなるよ〜」という声に耳を傾けて、その成長(焙煎による変化)に寄り添う...そんな感じです(いささか稚拙な表現ですが...^^;)
この「耳をすます」と言うのは「音を聞く」と言う意味ではなく(実際、豆はしゃべらないですから^^;)、焙煎後のカッピング(≒味見)でその風味を確認し、「僕(豆)はもう少し明るいんですよ〜」、「僕はもう少し柔らかな甘さに包まれてるんですよ〜」、「僕はもう少しコクがあるんですよ〜」そんな声を聞き取り、「分かったよ〜!では、この次は▲℃〜⚫︎℃までの火力を少し上げて(カロリーを上げて)その間の進行をさっきより5秒早めて、君の良さが出るようにやってみるからね〜」そんな会話をしながら、次の焙煎でそっと優しくそれを試みて、またカッピング(耳を傾ける)...その繰り返しです(こうすることでアプリコット、ピーチの完熟感がより感動的に際立ってきたりします)
そしてロースティングポイント(ヤキ止め、豆を窯から外に出すタイミング)も同様に決めていきます(収束させて行きます)
結果的に豆種毎に浅煎りとか深煎りと言った焙煎プロセスの差は生まれますが、これは豆の声を聞いた結果であって、「浅煎りでこんな味にしてやろう!」、「深煎りでこんな味にしてやろう」と言った戦略の話ではないんです
これにより豆種は違ってもそこには丸みや柔らかさと言った、基本テイストが共通に備わります
それが備わっていてこそ、豆種毎の異なる風味が楽しめるわけです
と言うわけで“焙煎”は窯に入れてヤイテいる間だけを指すのではなく、その後のカッピング、そしてそこで感じたものを次のヤキで微調整、そしてまた...と、豆との“やさしい会話”の連なりを織りなしていく作業なのです
いろどりこーひーは珈琲豆を通して、皆様の心豊かな暮らしに“彩り”をお届けします