2022年3月15日火曜日

No.56_春の小川


春の小川は さらさら行くよ

岸のすみれや れんげの花に

姿やさしく 色うつくしく

咲けよ咲けよと 囁きながら

(詩:高野辰之、曲:岡野貞一)

 

ここのところ東京でも気温が20℃を超え、もう少しすると桜も開花しそうな雰囲気になってきました。

この様な気候になるといつも思い出すんです、この『春の小川』🎶♬

ちょっとベタ過ぎますか!と言うより昭和!かな?何れにしてもなんで〜?ですよね(笑)。実は、10数年前に柳家小三治さん著『落語家論』を読んでからなんです。この本は小三治さんが書いたショートストーリー集の構成なんですが、その中に以下の様な内容が書かれてあり、以来春になるといつも『春の小川』を思い浮かべる様になりました。

『今までは、さらさら流れていく小川を、岸辺に佇んで、人間の目の位置から眺めおろしている景色としてしか聞いたことがなかった。それが、今、流れていく水に自分がなったようにこの歌を聞いていることに気がついたのである。(中略)自分は水の一員である。自分はすみれやれんげと同じくらいの背丈のようで、水際の小石や草の芽が、とても大きく感じられる。彼らもどうやら、こちらへ声を送っているようだ。流れている水たちは、威勢よく、自分の体の周囲を舞っている。両側の景色は次々と後ろへ去っていく。そうだったのか。春の小川はこれを歌った歌だったのか。こんなに素敵な歌だったのか。』(柳家小三治著『落語家論』より引用)

そして、『もっと早くからそういう感覚を持つことができたら、世の中のもろもろが、もっと輝いて見えたことだろう。(中略)感性が増えた...つまり大人になったということか。他愛がなくなった...つまり子供になってしまったということか。どちらにしても悪くないな。』と結ばれていました。

これを読んで以来、僕も春になると、『水になって小川を流れて、周りのすみれやれんげと会話したいものだ』と、この歌を毎年思い出すようになったんです。(^^) そんなちょっとした気付きで世の中の見え方が変わる。自分の心持ちが変わる...人間、年を重ねるのもわるくないな...と

いろどりこーひーは珈琲豆を通して、皆様の心豊かな生活に“彩り”をお届けします。

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