2024年12月31日火曜日

No.202_今年も1年ありがとうございました


12/29(日)、おかげさまで本年最後の営業を無事終えることができました。

お店へお越しくださったお客さま、ネット購入頂いたお客さま、1年間本当にありがとうございました。

リピート頂いている馴染みのお客さまが顔を見せて下さってはほっこりし、初来店のお客さまがいらしてはワクワクし、日々日々ありがたいな〜の思いに包まれながら、この1年、つつがなく過ごすことができました。心よりお礼申し上げます。

(突然、話は変わりますが...)

このつぶやきNo.200で山本夏彦さんのコラムを引用させて頂きましたが、別のコラムでも「なるほどね〜」と思ったことがあったので、少し紹介させて頂きます。表題 “進物(しんもつ)” の中にある文書です。

大筋は山本夏彦さんがある雑誌を発刊し続けて30年を迎えたのを機に長年の広告主に挨拶状を添えて記念品を送った。というコラムで、その挨拶状に書いた一文(抜粋)が以下です。

『すでに一月号で特集しました通り本誌は満30年に達しました。-中略- 本誌がながく続いたのはひとえに全盛期がなかったせいで、全盛期があれば衰えるばかりです。-後略- 』

これを読んだ時、タピオカブームとか、古くはたまごっちブーム(最近再びリニューアル発売されているそうですが)なんかを思い出してしまいました。ブーム、全盛期は、以降衰えるばかり...というのは「なるほどな〜」と思ったわけです。ながく続く、続けられるということは全盛期がない(全盛期を持たない)ということなんだなぁと...

というわけでいろどりこーひーも全盛期を持たず、じわじわと(笑)ながく続けていけたらいいなぁ...と思いながら、翌2025年を迎えたいと思います。(笑)

みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いします。

そして、どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ。

 

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2024年12月23日月曜日

No.201_葛西小2年生の子供たちからの贈り物


先月、葛西小学校2年生の子どもたちが“まちたんけん”の授業でいろどりこーひーを訪問してくれたことは、このつぶやきNo.195でご紹介した通りですが、その子どもたちからお礼のコメントを頂きました。

写真も添付しましたが、縦90cm、横80cmの大きな台紙に参加してくれた11人の子どもたちのコメントが貼り付けられています。上段の表題は茶色い線で囲まれているのですが、良く見るとなんとコーヒー豆の粒々が連なって描かれています。そのコーヒー豆1粒1粒にはセンターカット(豆の割れ目)まで描かれていて、その繊細さに感動です!見学の最後に生豆と焙煎豆を1粒ずつプレゼントしたので、それを見ながら描いてくれたのでしょうか...なんかほっこり、嬉しくなりました。しかも文字の濁点まで全てコーヒー豆!ざっと数えてみましたが、170粒程ある大作です(笑)

せっかくですので子どもたち全員のコメントを(漢字、ひらがなも)原文のまま、以下ご紹介させて頂きます。

①『こないだはお時間いただきましてありがとうございました。わたしはせかいじゅうのまめをぜんぶしってコーヒー豆のものしりになりたいです。』

②『いろいろコーヒのつくりかたをおしえてくれてありがとうございます。こどものコーヒーもおしえてくれてありがとうございました。』

③『いろんなコーヒーのことをおしえてくれてありがとうございます。いろいろなきかいもおしえてくれてありがとうございます。にしむらさん、コーヒー豆をくれてありがとうございます。』

④『いろんなことをおしえてくれてありがとうございます。またいつかきます。コーヒーのまめのにおいとってもいいかおりです。コーヒーのまめをだいじにします。西むらさんありがとうございます。』

⑤『町たんけんにいろいろおしえてくれてありがとうございます。コーヒーのまめをくれたことが一ばん心にのこりました。コーヒー屋さんになりたい。』

⑥『いろんなことをおしえてくれてありがとうございます。やすみの日きてコーヒーかいます。』

⑦『いろいろなことをおしえてくれて、どうもありがとうございました。できれば西村さんに、またあいたいです。』

⑧『コーヒー豆があんなに、やわらかいとは思いませんでした。いろいろなことをおしえてくれてありがとうございました』

⑨『町たんけんではコーヒーの作りかたをおしえてくれてありがとうございます。一ばん心にのこったことは、やくまえのほうがふんでつぶれなかったのがびっくりしました。』

⑩『町たんけんでわたしたちに色いろなことをおしえてくれてありがとうございました。コーヒーの豆がつくられるまでがあんなにあるとはおどろきました。わたしはおとなになったらコーヒーをのんでみたいです。』

⑪『すばらしいところがいっぱいでした。こんどコーヒーをのみにいきます。』

頂いた作品(まさに作品!)は、店内の出入り口脇に掲示させて頂きました。そして店にパッと“いろどり”が加わりました^ ^

 

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2024年12月17日火曜日

No.200_世は〆切


おかげさまで、この“店主のつぶやき”も開店以来、200回目を迎えることが出来ました。

本当に時々ではありますが、お客さまから「読んでますよ〜」と声を掛けて頂いたり、「この間書いてあった◯◯ですが...」と会話のきっかけになることもあり、そんな励みを頂きながら気が付けば200回となりました。

店を始めるのに先立ち「ちゃんとしたホームページ(HP)を作りたい」との思いがありましたので、その制作実務はプロの方にお願いしました。制作着手段階の打ち合わせでその構成、コンテンツの過半は僕自身の思いを伝えて始まりましたが、そのプロの方から強く勧められたのがこの“店主のつぶやき”のコーナーでした。「月一でも月二でも良いので、定期的に掲載を続けるとHPにアクティブ感が生まれ、お客さまとのコミュニケーションにも役立ちますよ」とのことでしたので、「わかりました。先ずはやってみます!」と、この掲載が始まりました。

書き始めるにあたって以前読んだ山本夏彦さんの『世は〆切』というコラムが思い出されました。

今回、今一度、その本を引っ張り出してきたので、以下、少し引用させて頂きます(斜体文字部分)。

『(前略)毎月また毎週〆切が追いかけて来て、その都度切り抜けているうち、いつしか10年、20年になったのである。「世は〆切」というよりほかはない。(中略)月間「室内」の連載「日常茶飯事」は410回、指折り数えると34年2ヶ月になる。私は無遅刻無欠勤を心がけて1回も休んでいない。滅多に出来ないことだと言われるが、なに心にそれと決めれば出来ないことではない。(中略)世は〆切というのは何も原稿のことばかりではない。浮世のことは全てそうだと言うつもりで紙幅が尽きた。賢明な読者はお察し下すったことと思う。』

そしてあとがきにもこんなことが書いてあります。

『私はこれまで〆切をかたく守ってきた。遅れると次の〆切が追いかけてきて、〆切が重なって困るのは私自身だからである。それは原稿のことだけではない。冷蔵庫の無かった昔は、魚屋は今朝仕入れた魚を売り尽くして、夕方は店のたたきに音を立てて水を流して、ゴシゴシ洗って無事一日を終わった。魚屋のあるじは後は枕を高くして寝るばかりである。誠に一日の苦労は一日で足れりである。明日のことは思い煩うなとは至言である。よって今回は「世は〆切」と題して自ら戒めた。』

読んだ時は、「いやはや痛快!」と思いました。

そしてその中にあった『滅多に出来ないことだと言われるが、なに心にそれと決めれば出来ないことではない。』を思い出しながら、この“店主のつぶやき”を書き始めたわけです。最初の年は不定期に(週一以上)掲載していましたが、次の年からは毎週火曜日に掲載しようと決めて現在に至ります。〆切がある生活に身を置くと言うのもなかなかいいものです。^ ^

 

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2024年12月10日火曜日

No.199_没入感と焙煎


【没入感】...ひょっとして今の時代のキーワードなのかな...なんて感じています。

巷ではVR(バーチャル・リアリティ、仮想空間での擬似体験)にまつわる話題、施設、デバイス(機器)...その広がりは、関連、派生という言う意味では、ありとあらゆるものに繋がりつつあるような気さえします。

その中の一つ、teamLab(チームラボ)の造り出す世界は、とっても好きです。佐賀の御船山や福岡の舞鶴公園での期間限定イベントに行ったのがその世界に触れ始めた最初ですが、その後、東京でも豊洲のチームラボプラネッツ、麻布台ヒルズのチームラボボーダレスと体験(鑑賞)しましたが、それぞれの独創的な展示、演出に、そしてその創造力に、感心、衝撃、感動を受けます。どの展示も日常から隔離された別世界への【没入感】に誘(いざな)ってくれます。

今回のキーワード【没入感】ですが、(ニュアンスは少々ズレるかもしれませんが)実は、焙煎中にも感じながら(浸りながら)やってます。

以下、あまりにも突飛で「何言ってんの?」と言われそうなのですが...(苦笑)

焙煎中は自身がヤカレている豆そのものになりきったり、ヤイテいる窯(どちらかというと、それを覆っている分厚い鋳物の部分)になりきったり、焙煎している部屋(の空間)になりきったりしながら、それらに没入して種々、作業、操作しています。

そうすることで焙煎中の“今”という点が、静的な状態ではなく、刻一刻と変化し続けている動的な状態の“今”として捉えることが出来る様になります。「動的な状態把握」というのは前述の「豆、窯、部屋が直前までどういう時間を経て、どう変化してきて、今この様な状態にあって、次の瞬間にはこう変化していくだろう」という、時間軸を意識した一連の流れの“今”を捉える感覚です。

なんか雲を掴むような話でしょうか?...ですよね...きっと...

とは言え、焙煎の【没入感】も結構、楽しいんですよ(笑)

 

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2024年12月3日火曜日

No.198_モネ回顧展 “モネ、睡蓮のとき”


国立西洋美術館でモネ展(〜2025/2/11)を観てきました。

今回の展示は回顧展として“モネ、睡蓮のとき”とタイトルが付いています。モネは1840年に生まれ、1926年86歳で亡くなりましたが、1890年台に自宅を構えたジヴェルニーに“花の庭”、“水の庭”を整備していき、1900年前後からそこの睡蓮や太鼓橋の情景を描き始めたとのことで、どちらかというと晩年の作品を中心とした構成でした。

モネは僕の一番のお気に入りの画家です。ここ30年はモネ展と呼ばれるものは全て観てきました。そのきっかけは...No.126でも少し触れたので割愛しますが、今となってはこの分野(美術館巡り、絵画、芸術鑑賞)が趣味の一つになって本当に良かったなぁって思っています。

最初は何も分からず、美術館、展覧会と足を運んでいましたが、そのうち「なんか自分はモネが好きみたい...」と思うようになりました。好きになった理由は一言では説明出来ませんが、モネの絵は美しい!、素敵!は当たり前として、何か温かさ、穏やかさ、優しさそんな心地良さがどの作品からもじわーっと伝わってきます。そしてこちらまで穏やかで優しくなれる気さえします。きっとモネ自身の絵を描くことへの愛みたいなものが伝わってくるのかなぁって勝手に想像しています。(苦笑)

モネに代表される印象派の画家が多用した筆触(ひっしょく)分割ですが、その中でもモネは飛び抜けた達人です(と、僕は思っています)。絵の間近で観るあのタッチは、3m離れて観た時、そして5m離れて観た時と、全く違った表情を見せてくれます。なのでモネ展では最前列で観るために前の人に続いて順にスライドしていく見方(1m離れ)と、前列の人の後ろから観直す(3m離れ)のと、展示空間の真ん中くらいからボーッと全体の絵に目を配るように鑑賞(5〜8m離れ)するのとで、モネ展の鑑賞時間は他の美術展より長く掛かります...😅

話は全く変わりますが、お店に初めて訪れるお客さまに「私、コーヒー初心者なんですが...」とおっしゃる方がたまにいらっしゃいます。謙遜なさって、そうおっしゃっているのだとは思いますが、そんな時は「いやいや、どうかそんなことはおっしゃらずに、いろいろなものをお試し頂いて、お好み(お好みのコーヒー、お好みの飲み方、お好みのお店...)を見つけて頂くのがよろしいと思いますよ」と言ったお話をします。

スポーツや競技においては初心者→中級者→上級者といった世界はあるかもしれませんが、嗜好、好みの世界には、初心者→中級者→上級者といった世界は特になく、興味を持つ→それに多く触れるうちに(もしくはどっぷり浸かるうちに)「自分の好きなものに自分自身が気付き始める」みたいなことではないかな...と思っています。僕が知らず知らず、モネ好きに気付き始めたように...

 

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