2025年9月23日火曜日

No.240_焙煎は“操作技術”だけでなく、“表現力”が問われる営み


店には大きな焙煎機が置いてありますので、ご覧になったお客さまから「あの(焙煎機)の操作は大変そうですね」と、時々、お声掛けいただきます

それに対し「いやいや、操作そのものはシンプルなので、お客さまでもすぐ出来るようなものですよ」とお応えすると、「そんなことないでしょ〜」と...(苦笑)

これ、決して冗談とか、投げやりにお応えしているわけではなくて、本心でそう思っています

当然、何の手解きもなく、焙煎機が操作出来たり、豆がヤケルわけではありませんが、仮にも僕が付いて、こうして、ああして...こうなったら、そうして...とお伝えしたら、多分2週間もあれば、一人で操作出来るようになると思います

一方で...「焙煎機が操作出来る」ということと、「美味しい豆が(安定して、継続して)ヤケル」ということは、また、別の話だと思っています

美味しい豆を(安定して、継続して)ヤクには、焙煎した豆をカッピング(味チェックのようなもの)して、更なる美味しさを引き出すため、「あそこをこうしたらどうなるだろう?」と仮説を立て、次の焙煎で、それを検証(ピンポイントで微細な変化を与えて焙煎し、それをまたカッピング)していく...そんな繰り返し、そんな日々の積み重ねが伴います。(例えば窯から出す温度を1℃変えただけで、マウスフィールにパッと明るさが広がることもあります)

話は突飛な方向へ変わりますが...

例えばヴァイオリンでも、トランペットでもピアノでも、一定のセンスがあって、練習を重ねれば、短いフレーズならば楽譜通りに弾いたり吹いたりすることは出来るようになるでしょう。しかし、それが聴く人を感動させたり、酔わせる音色(ねいろ)かと問われると別問題であるように、焙煎においても決められた操作が出来たとしても、出来上がるコーヒー豆が、お客さまを感動させたり、うっとりさせるかというと別問題...そう思っています

操作は簡単な焙煎ですが、気にかかること、試したいこと、確かめたいこと、突き詰めたいこと...これはやってもやっても、また現れてきて、尽きることがありません

焙煎機操作は“技術習得”の趣ですが、美味しい豆づくりは、“表現”の趣とも言えます

“表現”の趣で焙煎を捉えると、とたんにそれは面白い、楽しい、突き詰めたい世界へと広がります。また、そうして取り組んだ結果はお客さまからの反応として返ってきます

僕にとって、お客さまからの反応が何よりの励みです

それが僕をまた次なる、そして更なる取り組みへと駆り立ててくれます

 

いろどりこーひーは珈琲豆を通して、皆様の心豊かな暮らしに“彩り”をお届けします

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