先月、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアが、大きな節目を迎えました
イエスの塔の外観が完成し、その完成を祝う式典が行われたのです
2026年6月10日。その日は設計者アントニ・ガウディの没後100年の日でもありました。ローマ教皇レオ14世による記念ミサとそれに続く完成式典は、NHKでも中継され、僕も食い入るように見ていました
イエスの塔は2017年にその建設が着手されましたが、ちょうどその年、僕もサグラダ・ファミリアを訪れました。そして、あのとき目の当たりにした感動は、今も忘れられません
外観は最初は遠目から眺め、少しずつアプローチしていく最中、何度も「すごいなぁ!」、「素晴らしいなぁ!」を連発させながら、本当に感嘆しました。ゆっくり外廻りを一周した後、聖堂内に入りましたが、そこへ足を一歩踏み入れ、上を見上げた瞬間の感動は、外観でのそれをはるかに超えるものでした
感嘆した時に「息を呑む」とか、「言葉が出ない」といった表現がありますが、その時ばかりは、息が吸えなくなるほど心揺さぶられました。たぶん1分か2分、微動だにせず、視線だけ少し動かしながら、上を見上げ続けていたと思います
バルセロナでは、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、カサ・ビセンス、そしてグエル公園など、他にもアントニ・ガウディの作品、建造物をたくさん巡りました
そして帰国してからも、その刺激や感動が忘れられず、色々調べたり、本を読んだりしていました
すると今度はサグラダ・ファミリアで主任彫刻家・芸術工芸監督を務められている外尾悦郎さんにも、どんどん惹かれていったのです
外尾悦郎さんは、1978年25歳でバルセロナに渡って以来、「生誕のファサード」の女神像を始め、今日に至るまで随所に自身の彫刻を残されています
この機に外尾悦郎さんが、2006年に著した「ガウディの伝言」を改めて読み返してみたところ、初めて読んだ時惹きつけられた観点とはまた異なる思いが湧いてきたものですから、少し、ご紹介させていただきます
それは“石との対話”や、“石と向き合う姿勢”に関わる部分です
「(石を彫りながら)これって、彫って、削っているように見るでしょ?でも違うんです。石にノックしているんです。ノックしながら、このまま進んでいいかい?って石に聞いているんです」
「私にとって彫刻を作っているときの理想は、“石の中に入って、彫っている”という状態です」
「石には石の性質や節理があります。それを何度も何度も失敗しながら体で覚えていくうちに石を見たり、触ったりしただけで、その石が持っている秩序が直感的にわかるようになってきます。そうすると今度は石に導かれるように形を作っていくことができるようになる。その石をどんなふうに削り、どんな構造に利用するのが合理的か、石が教えてくれるように感じられるようになってきます。経験豊富な石工ほど石と戦うのではなく、石に従わなければ良いものはできないと言うことを熟知しているものです」
当日読んだ時は、バルセロナに行くことになった経緯に始まり、そこに定住しサグラダ・ファミリアに捧げた人生、さらにはそこでの数々のエピソード、それら全てを含めた外尾悦郎さんの“生き方”に感銘したものです
ところが毎日焙煎している僕が今これを読み返すとと、なぜか“石を彫る”を、“豆を焼く”に読み替えて、勝手に共感してしまうのです…ちょっと、可笑しいですよね(^^;;
というのも、豆もこちらが「深煎りで(浅煎りで)こんな味にしてやろう」なんて、独りよがりで焼けるものではないからです
豆と対話しながら、あるいは豆の中に入っていきながら、豆に導かれるように焼いていくことができると、美味しいコーヒー豆が出来上がるんですね
ちょっと稚拙な表現ですが、豆が「こうしてくれると、ぼくは最高に美味しくなるんだよ〜」という声に、五感を研ぎ澄まして耳を傾けるようにしています
ところで、イエスの塔の外観は完成しましたが、その内観や、栄光のファサードは、まだまだ建設が進行中です
これらが完成の暁には、ぜひもう一度、サグラダ・ファミリアを訪れてみたいです
それが僕の(絶対に実現させたい)夢です
いろどりこーひーは珈琲豆を通して、皆様の心豊かな暮らしに“彩り”をお届けします